aporo2の日記

キリストに従って光の中を歩むしあわせ

イエスがキリストであると信じれば、救われます

 

偽信者にならないために、どのように信じればよいのでしょうか?

 

以下の二点を確認してください。

 

. 旧約聖書に来ると予告されていたように創造主である神が

人となって来てくださった。

 

それがイエスである。

 

 

. イエスは旧約聖書に予告されていた通りに人として来られ、

 

旧約聖書に予告されていた通りに私たちの罪のために死に、

 

旧約聖書に予告されていた通りに復活してくださった。

 

 

上記を疑いなく信じることが出来た人は間違いなく救われており、完全な救いが保障されています。

 

永遠の命を今すでにあなたは得ているのです。

 

死んでからではなく、また命の証明書を今もっているのでもなく、今あなたは新しい命をすでにもち霊的に天にいます。

 

信じがたいでしょうが今、あなたは天国にいるのです。

 

そしてキリストと共に天の王座に座しています。

 

キリストを信じたときにキリストの内にあなたの命が生まれ、命はすでに神の内にかくまわれています。

 

これは、不可逆的であり、アダムにあって罪と死が支配した以上に、あなたの新しい命は義の支配に移っています。

 

つまり、イエスを信じる前は必ず死ななければならなかったのが、恵みと信仰によって死んでも必ず生きるのです。

 

新しい命が生まれたことは、ギリシャ語で完了形で書かれています。

 

完了形とはすでにそうなっているということです。

 

これは逃れることはできないのです。

 

この世界では紆余曲折があっても、永遠の世界では確定しているということです。

 

このような信仰をもっているなら、キリストを信じた瞬間に御霊はあなたの中に住んでいるのです。

 

たとえ、気づかなくてもです。

 

今回は、いままで、日本語では分からなかった真理をお伝えいたしました。

 

上記に書き記したことは荒唐無稽な話しではなく、すべて聖書に書かれている正確な知識です。

 

むしろ、一般のクリスチャンがよく分かっていないことを分からせるためにまとめたものですので安心して信じてください。

 

そして、上記のような信仰を持つものが真のクリスチャンですので、あなたに知識の点で欠けがあるなら

 

悔い改めて、神のみこころを慕い求めてください。

 

 

blueeyes一からの引用

 

 

あなたはキリストのようになりたいのですか?

 

それなら、あなたの播くものはまず死ななければなりません。

 

神の力、それは運命なのです。

 

つまり、キリストのようになることは

 

決して人間の願い、人間の理屈でなれるわけではないのです。

 

キリストの似姿に日々変えられることは、人知をはるかに超えたことです。

 

信者はそれを認め、ただ受け入れ、自分で努力しないことです。それは不可能だからです。

 

わたしたちが心がけていることは、「すべての道において神を認めること」です。

 

同じように、あなたも自分の見方を変えてみてください。

 

そうすれば、神があなたを清めてくださいます。

 

神があなたを認めるならそれだけで、あなたは清くなります。

 

そしてもし清められたのなら、もうあなたの罪は存在しないのです。「神はすべての咎をぬぐい去ってくださり、もはや罪を見ない」と約束されているからです。

 

一度悔い改めて、清くなったのなら、もうそれでいいのです。

 

キリストの十字架の贖いは永遠です。ですから、イエスは「完了した。」と言われたのです。

 

真の信者は神と共に歩み、いつでもどこにいても、その人のこころには愛と喜びと平安があります。

 

頑張っている人へ。あなたの不毛の努力が自分を苦しめていることに、早く気づいてください。

 

「わたしは罪深いんだ!」

 

いつまで、そんなこと言っているのですか?あなたには信仰がないのですか?

 

真の信者は違います。

 

たとえば、山上の垂訓がありますね。

 

あのイエスの教えは、人間にはできないことです。聖書に書かれていることは、すべて神の理想だからです。

 

 

それが分かれば、無理にみことばを自分に適用しようと不毛の努力をしなくて済みます。

 

 

さて、聖書で教えられたことのすべてを学んだあとは、その知識従ってあとは御霊によって歩むだけです。

 

しかし、御霊が分からない人が多いのです。

 

パウロは御霊は神の国への証印と言っています。

 

命をもたらす御霊の原理が罪と死との原理からわたしパウロを解放したと言っています。

 

子がつまりイエスが自由にした人なら知っているはずです。

 

御霊は教会員でも分からない人が多い。

 

分からなくても新しく創造されているかも知れません。

 

神によって新しく創造されていなければ救われていません。

 

これが、運命と上記でわたしが話したことです。

 

神が行われることは、人間には決して理解できない人知の超えたことです。

 

しかし、ヒントはお話しいたしました。あなたのすべての道において神を認めることです。

 

つまり、神の恵みと人間の信仰によって、あなたの生き方すべてを神におゆだねすることです。

 

わたしは、神のみこころに関しては何もしません。

 

しかし、聖書でイエスさまは「行え」と命じておられるのではありませんか?

 

その通りです。

 

そうであっても、自分で何かの規則を守るように神の教えを行うことはできません。

 

問題はやり方が分かっていないことです。

 

御霊を知っている人は御霊に従います。

 

自分で努力して行えないことを知ってください。

 

そして、御霊を求め続けて行って下さい。毎日祈り求めるのです。与えられていてもです。

 

 

さて、理屈はこの辺にして

 

学びはとても大切です。ですから、聖書を学び続けてください。

 

今回は、真のクリスチャンとなる「運命の人」に語りました。

 

毎日、真の信者が神の御前にひれ伏し、神に賛美と崇拝を捧げています。

 

プリマベーラたちによろしく。

 

ハレルヤ

 

 

luxひかり一からの引用

 

 

頑張ってクリスチャンになるのですか?

 

はじめに

 

一救いは恵みと信仰そして聖書による一

 

恵みとは本来、良くされる理由がないにも関わらず神が良くしてくださることで、一般の辞書でいうところの恵みと聖書でいう恵みの意味は異なります。

 

この恵みは神の愛であり、この恵みがなければ、使徒たちも救われませんでした。

 

人類すべての罪に対す赦しの代価は神の恵みにより、キリストがご自分の命で支払いを終えてくださり完了したのです。

 

これを「永遠の贖い」といいます。

 

また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。

 

(ヘブライ9:12)

 

救いに関しては人間は一ミリも何かを行うことはできません。完全な救いを主イエスさまが成就してくださったからです。

 

以下にパウロが受けた救いについて、何を信じればよいのかをご一緒に確認致しましょう。

 

また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。

私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、

また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。

 

(コリント第一15:2~5)

 

ここに、上記を信じる人間の信仰が必要なのです。信仰を保つならとパウロは念を押しています。行いではありません。そしてこの救いを可能にしたのが、神の「恵み」なのです。

 

 

パウロの華々しい活躍についてパウロ自身が以下のように証しています。

 

神の恵みによって、私は今の私になりました。そして私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

 

(コリント第一15:10)

 

繰り返しになりますが「恵み」とは本来、悪くされる理由は無数にあるにもかかわらず、神が良くしてくださることを「恵み」といいます。

 

 

この「恵み」が分からないために、クリスチャンになれないと思っている人が何と多いことでしょう。

 

むずかしいことはすべて、キリスト・イエスが十字架上で完了してくださったため、人間はただ信じるだけで救われるのです。

 

どのように救われるのでしょうか?

 

福音を信じた者の命が神によって、神の内に移され、神からは聖霊がその人のところに来るのです。

 

あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。

 

( コロサイ3:3)

 

聖霊については、パウロがガラテヤ人への手紙の中で、「あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。」

 

(ガラテヤ3:2)

 

と言っている通りです。

 

これが福音です。

 

たとえ、今罪にまみれていても、あなたは信じるだけで救われる。悔い改めは、ただ見方を変えるだけでいいのです。だれでも、最初は罪にまみれていたのですから。

 

御霊があなたをキリストの似姿へと変えていってくださいます。これを聖化といいます。

 

私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

 

(コリント第二3:18)

 

ですから、人の目にどのように見えても、父なる神と主イエス・キリストを信じ、聖書のみことばを信じて、信仰を保っていってください。「義人は信仰によって生きる」からです。

 

なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

 

(ローマ1:17)

 

では、わたしたちが強調してきた「行い」とはなんでしょうか?聖書から見てみましょう。

 

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。

 

(エペソ2:10)

 

上記でいう「行い」とは福音を信じて救われた人が良い行いをするように神があらかじめ備えてくださったものです。愛も行いも御霊を受けた人、つまり信仰によって救われた人が神の恵みよって行うものです。

 

 

おわりに

 

1 罪についてです。

 

わたしたちは光のなかにいるので、罪を見つけることができませんが、もし罪の意識があるなら、一度悔い改めて清められたなら、罪をやめるようにと聖書はすすめています。

 

わたしたちは罪なるものと戦うことがないので、罪から離れよとか、罪をやめるようにとパウロが勧めている状態にあてはまりません。

 

ただ、こうです。もし、戦うのなら、わたしたちは戦いません。では、だれが戦うのでしょう。

 

答えは神が戦うのです。愛するにせよ、何にせよ、わたしたちは神に関することを自力でおこなうことができません。

 

つまり、主にこうしてほしい、ああしてほしいではなく、わたしたちが何もしないなら、聖霊が全力を発揮するのです。

 

これが、御霊に導かれる生き方です。

 

世に勝利するとは、この生き方を体得した者のことです。

 

これを体験しているクリスチャンは正直少ないのです。

 

次に

 

2 みことばに従うことについてです。

 

ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。

 

(ヘブル10:25)

 

上記のように、たとえ聖書に書かれていることであっても、無理して行おうとしないことです。

 

体調を普段から整えていても具合の悪い時もあるでしょう。

 

こういう時は、静養しゆっくり休んでください。

 

カルト宗教は人に無理をさせ、人を病気にさせます。

 

間違っても行けるようにと祈って行くことがないようにしてください。

 

無理をしないことです・・・。

 

さて、今日は

 

神の恵みによって導かれ、ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。

 

主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の親しき交わりが今も、明日もとこしえまでもあなたと共にありますように。

 

アーメン

 

blueeyes一からの引用

 

 

教会へは行った方がいいでしょうか、それとも行かなくてもいいでしょうか

 

このことについて聖書はなんと教えているでしょうか?

 

へブル10章25節に以下のように書かれています。

 

 

ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。

 

 

地域教会に通うことは、牧師、信徒、自らの病気などのさまざまな問題があることは事実です。

 

現代がラオデキヤの教会時代であることも知っています。

 

しかし、神はただおひとりであり、神がおられる地域教会もある筈です。あなたが認めなくてもです。

 

ですから、神にとらえられている人は、いずれかの地域教会を探してそこへ通うことになるでしょう。

 

理由ですか?その人が神にとらえられているからです。横との関係ではないのです。上との関係が最も重要です。横とは信者。上とは神です。

 

牧師が聖書をまっすぐに伝えているなら、そこに集まっている信徒はまともな人が多い筈です。

 

しばらくの間、やむをえず一人で聖書を学ぶこともあるでしょう。ねっと礼拝もあるでしょう。

 

病気で教会に行けない人もいるでしょう。

 

さまざまな問題があることは分かりました。

 

 

すべては神のみこころのままにです。

 

vetania一からの引用

 

 

福音はすべて信じる者に救いを得させる神の力

 

主よ、あなたはわたしたちの病を癒しわたしたちを罪から解き放ってくださいました

 

わたしたちはアダムにあって罪のもとに売られ、あらゆる困難と苦痛の中にとらえられていました

 

しかし、あなたはわたしたちをキリストにあって罪から解き放ち、わたしたちの病をいやしてくださいました

 

これが、福音であり、主ご自身がわたしたちの上に成就しました

 

 

・・・・・・

 

 

わたしは主を愛します

 

あなたはわたしを愛していると言ってくださいました

 

まるでわたしを必要とするかのように

 

主は明けの明星

 

わたしの希望

 

 

あなたはわたしの手を取って

 

わたしたちは一緒に出かけて行きました

 

あなたはわたしの上に手をおき

 

わたしを愛していると言ってくださいました

 

昔、海だったエメラルドの草原で

 

 

わたしプリマベーラはあなたの「真実の愛」を信じます

 

わたしたちは横たわり

 

一緒に食事をしました

 

あなたはわたしを見つめて

 

わたしを愛していると再び言ってくださいました

 

あなたがわたしを必要とするかのように

 

 

わたしは小さなこどものように

 

あなたの腕のなかにいました

 

 

空には美しい虹が架かっている

 

わたしはそれを見た

 

やさしい光のなかで

 

 

主よ、あなたはこう言っておられるのです

 

聖書に書かれている通り

 

「わたしはすべての被造物の願いをかなえる」と

 

あなたは御手を開き、すべての生けるものの願いを満たされます ( 詩篇146:16)

 

・・・・・・・・・

 

プリマベーラ、おいで

 

はい

 

わたしたちは互いに互いを必要とする存在ね

 

そうでしょ?

 

そうだね

 

ちょうどキリストと教会のようにね・・・

 

 

僕たちは世界の創造の前から神の予知に従って主に選ばれていた

 

これが聖書に書かれている信者たちが救いを受けた理由

 

これは人間の理解の到底及ばないこと

 

神は救いの御手を伸ばし、僕たちだけでなくすべての人たちに呼びかけておられる

 

神に立ち帰れと

 

もし、かれらが滅びるとしたら、この呼びかけを無視する者たちだ

 

 

で、ペテロが手紙に書いたようにかれらはそうなるように運命づけられていたと言える

 

それでも、パウロがいうように幾人かでも救われますように

 

 

そう、救われるように願っているわ

 

何から救われるなんていわないでね

 

ねこが人間にいじめられて半殺しにあって苦しんでいるのを見つけて

 

こころある人たちがその猫を助ける動画を見て人間にもやさしいところがあるといつも思っているの

 

でも、そのねこのために人間が自分の命を犠牲にする人はみたことがない

 

イエスさまの十字架での死と復活はそこまでしないと、人間を罪から救出することができなかったの

 

こう説明しても神の霊が働かないと聞いた人のこころにストンと落ちることはないの

 

人間は、最初はキリストのようになれなくてもいいの

 

それは、あとからそのようになるから

 

あなたが罪にまみれていてもいいのよ

 

どうしてって?

 

救いは神の恵みと信仰そして聖書によるの

 

行いを変えるのではないのよ

 

見方を変えるの

 

最初はただ信じるだけでいいの

 

そう、都合のいい話ね

 

分かっているわ

 

でも、それを恵みというの

 

人間には本来良くしてくれる理由なんてないから

 

人はこころで信じて口でイエスは自分の主だと告白するならその人の命は

 

キリストの中にバプダイズされるのよ

 

つまり移されるってこと

 

これを新しい創造とパウロは言った

 

分かった?

 

アダムから生まれた人類は生まれながらの罪人

 

イエスから神の恵みと信仰によって新しく生まれた人はその人の命が神の中に移されたの

 

このとき、聖霊もその人のところに来てキリストの似姿へと神が日々変えていってくださるの

 

 

だから、自分で愛を実践しようとか行いを変えようとか行いで救いを得ようとしないでね

 

むずかしいこと言ってごめんなさい

 

真理とはイエスさま、みことばそして聖霊

 

 

救いは「恵みのみ信仰のみ聖書のみ」とルターは言っていたけれど

 

そのとおりよ

 

わたしとあの人は真理を知るようにあえてパウロがいうように愚かになったの

 

わたしプリマベーラが最後にまとめたわ

 

長くなっちゃってごめんなさい

 

・・・・・

 

あーあ、サガンが背中をまるめているわ

 

かわいいね、サガン

 

かわいいでしょ

 

余計なことだけど

 

なあに?

 

君は世界一きれいだよ

 

 

 

あなたは嘘をつかない

 

だってあなたは真実の愛だから・・・

 

今、君はサガンを腕に抱いて

 

サファイア色の天空からの

 

さわやかな神の息吹の中で

 

僕に向かって微笑んでいる

 

僕たちが歩いた後ろにはたくさんの美しい花が咲く

 

 

わたしとあなたは神の翼(愛)に包まれて

 

狭められたキリストの命の道を一緒に歩いている

 

 

僕たちが近い将来、キリストと巨万の聖徒たちと共にもどって来るとき

 

この世界は終わる

 

そして

 

僕たちは栄光のからだを受け、永遠の新天新地が始まり、神とキリストと聖徒たちと共に永遠に生きる

 

rutu一からの引用

 

 

わたしたちはキリストのなかにバプタイズされた

 

新しく創造されることの意味について

 

パウロは聖書で、だれでもキリストの内にいるなら、その人は新しく生まれた者ですと説明していますが

 

この意味は単なる比喩ではなく霊的リアルの状態を意味しています

 

信じられないかもしれませんが

 

神がわたしたちの命をキリストのなかへと移されたことを意味しているのです

 

・・・・・・

 

rutu一からの引用