はじめに
一救いは恵みと信仰そして聖書による一
恵みとは本来、良くされる理由がないにも関わらず神が良くしてくださることで、一般の辞書でいうところの恵みと聖書でいう恵みの意味は異なります。
この恵みは神の愛であり、この恵みがなければ、使徒たちも救われませんでした。
人類すべての罪に対す赦しの代価は神の恵みにより、キリストがご自分の命で支払いを終えてくださり完了したのです。
これを「永遠の贖い」といいます。
また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
(ヘブライ9:12)
救いに関しては人間は一ミリも何かを行うことはできません。完全な救いを主イエスさまが成就してくださったからです。
以下にパウロが受けた救いについて、何を信じればよいのかをご一緒に確認致しましょう。
また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。
私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、
また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
(コリント第一15:2~5)
ここに、上記を信じる人間の信仰が必要なのです。信仰を保つならとパウロは念を押しています。行いではありません。そしてこの救いを可能にしたのが、神の「恵み」なのです。
パウロの華々しい活躍についてパウロ自身が以下のように証しています。
神の恵みによって、私は今の私になりました。そして私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。
(コリント第一15:10)
繰り返しになりますが「恵み」とは本来、悪くされる理由は無数にあるにもかかわらず、神が良くしてくださることを「恵み」といいます。
この「恵み」が分からないために、クリスチャンになれないと思っている人が何と多いことでしょう。
むずかしいことはすべて、キリスト・イエスが十字架上で完了してくださったため、人間はただ信じるだけで救われるのです。
どのように救われるのでしょうか?
福音を信じた者の命が神によって、神の内に移され、神からは聖霊がその人のところに来るのです。
あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。
( コロサイ3:3)
聖霊については、パウロがガラテヤ人への手紙の中で、「あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。」
(ガラテヤ3:2)
と言っている通りです。
これが福音です。
たとえ、今罪にまみれていても、あなたは信じるだけで救われる。悔い改めは、ただ見方を変えるだけでいいのです。だれでも、最初は罪にまみれていたのですから。
御霊があなたをキリストの似姿へと変えていってくださいます。これを聖化といいます。
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
(コリント第二3:18)
ですから、人の目にどのように見えても、父なる神と主イエス・キリストを信じ、聖書のみことばを信じて、信仰を保っていってください。「義人は信仰によって生きる」からです。
なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
(ローマ1:17)
では、わたしたちが強調してきた「行い」とはなんでしょうか?聖書から見てみましょう。
私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。
(エペソ2:10)
上記でいう「行い」とは福音を信じて救われた人が良い行いをするように神があらかじめ備えてくださったものです。愛も行いも御霊を受けた人、つまり信仰によって救われた人が神の恵みよって行うものです。
おわりに
1 罪についてです。
わたしたちは光のなかにいるので、罪を見つけることができませんが、もし罪の意識があるなら、一度悔い改めて清められたなら、罪をやめるようにと聖書はすすめています。
わたしたちは罪なるものと戦うことがないので、罪から離れよとか、罪をやめるようにとパウロが勧めている状態にあてはまりません。
ただ、こうです。もし、戦うのなら、わたしたちは戦いません。では、だれが戦うのでしょう。
答えは神が戦うのです。愛するにせよ、何にせよ、わたしたちは神に関することを自力でおこなうことができません。
つまり、主にこうしてほしい、ああしてほしいではなく、わたしたちが何もしないなら、聖霊が全力を発揮するのです。
これが、御霊に導かれる生き方です。
世に勝利するとは、この生き方を体得した者のことです。
これを体験しているクリスチャンは正直少ないのです。
次に
2 みことばに従うことについてです。
ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。
(ヘブル10:25)
上記のように、たとえ聖書に書かれていることであっても、無理して行おうとしないことです。
体調を普段から整えていても具合の悪い時もあるでしょう。
こういう時は、静養しゆっくり休んでください。
カルト宗教は人に無理をさせ、人を病気にさせます。
間違っても行けるようにと祈って行くことがないようにしてください。
無理をしないことです・・・。
さて、今日は
神の恵みによって導かれ、ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の親しき交わりが今も、明日もとこしえまでもあなたと共にありますように。
アーメン
一blueeyes一からの引用







