イエスと結びついていない信仰は滅びに至る
「その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」 (マタイ 7:22、23)
将来、イエスに拒絶される多くの者たちは救われていません。
なぜ?
新生していないからです。
イエスは「水と霊によって生まれなければ神の国に入れない。」と言われました。
神の霊は風がどこから来てどこへ行くかが分からないように、ご自分の霊を神は望むままに人に分け与えてくださいます。その霊は永久にとどまります。
この霊をだれが受けることができますか?
神に選ばれた者だけが受けるのです。
人間の行いや願いは関係ありません。
ただ、神の憐れみと恵みによるのです。
それは、だれも誇ることがないためです。
さて、それでは一体だれが救われるのでしょうか。
救いは神の絶対主権であり、人間の願いは聞き入れられません。
ここで、神を切に求めている信者は自分の霊が砕かれ、絶望体験をすることになります。
人間の自由意志など関係がないことを思い知らされるからです。
人間には巷で言われているような、救いを受け取る自由、拒否する自由は現実にはなかったのです。
だから、あきらめよとはいいません。
この絶望を味わった体験者が語っています。
信じる者はキリストの内にその者の新しい命が生まれてしまっています(完了)。
これが新しい創造です。この命は不可逆的です。
この命を持っている者は永遠に救いを失うことはありません。
イエスの十字架の贖いは完全ですが、もし、人間が自分で救いを少しでも何とか調整出来ると考えているなら、その人はまだ「救い」を知らないのです。つまり、新しい命は、まだ生まれていません。そのため、信仰を失う可能性を考えて、苦しんでいるのです。その人は自分でイエスにしがみつこうと頑張っています。
しかし、真に救われた人はイエスがその人をしっかりとらえてくださっていることを知っているのです。
祈り
アバ、父よ。あなたがわたしを憐れんでくださったように、彼らを憐れんでくださいますように。
しかし、わたしの願いではなく、あなたのみこころがなりますように・・・。




