キリストを見て触れて知る

今回、性的な面だけでお話をすれば、「肉の働きを殺せる」ということです

 

つまり、「肉体的快楽を味わわなくてもいい」ということ

 

ソロモンが言っていたように、「快楽に何の意味があるのか?」というのと同意見です

 

パウロとも同意見です

 

欲望を満たせばそれで終わってしまう、だから、「肉の働きを殺すなら生きる」に同意見です

 

これは、目の欲望についても同じです

 

体から来る妄想が偽りであることを知り尽くしているということです

 

男女の夢は体が夢見るのです

 

これは、「麗しさもあでやかさも偽りである」ことを知っていて、妥協は一切しないということです

 

仏教哲学、肉体の修行は何の効き目もありません

 

パウロがいっていたこと、血に至るまで抵抗してごらんなさい

 

自分を十字架につけられるのは、キリストの霊をもった者だけです

 

これが、キリストに属する者であり、これ以外は、キリストから離れ去れと言われるでしょう

 

 

心の状態ですか?

 

こころは安らかで愛と喜びがある状態です

 

聖書の知識ですか?知識は立方体です

 

点や線、平面ではなく立方体

 

御霊によって自在に話せます

 

神の霊に支配されていますから

 

ちなみに、異言は語りません

 

酒、たばこ、女性に触れない

 

はい、そうです

 

「キリストを着て、古い人格を脱ぎ捨てる」といわれていますね

 

この世界は肉の欲望によって構築されています

 

一方、神の国は神の霊によって構築されているのです

 

これは、知識ではありません

 

あなたは、これが意味することが、霊の戦いだとは気が付かないだけです

 

古い人格が欲望によって構築されているなら、神の国はキリストの霊によって構築されているのです

 

言い忘れましたが、「信仰」は「決意」でもあるのです

 

エスに聞き従う決意です

 

「悔い改めと信仰」「肉の働きを殺す」「神と隣人を愛する」

 

これらを可能にしたのは神です

 

人間は誇ることは断じてできません

 

エスさまの十字架による功績がすべてを可能にしたのです

 

すべてを新しくしたのです

 

わたしたちに、すべてを与えてくださったのです

 

 

ハレルヤ、アーメン

 

 

vetania一からの引用