選ばれた者はひどい苦難を通過する

21 そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。

22
もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。

 

マタイ24:21~22     新改訳

 

 

 

エスが言われたひどい苦難何かは分かりません。

 

その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。

 

短くされたため、「666」も生き残り、選ばれた者たちも生き残り、選ばれた者は、天へ救出されるのです。「666」の獣の刻印は信仰を試すためにどうしても必要のようです。

 

彼の存在も必要だから、ひどい苦難を通過しました。

 

ひどい苦難とは、それが長ければ、選ばれた者も「666」もいなくなってしまう、そういった類のもののようです。その日数と書いてありますが、神の裁きではないと思われます。

 

地球環境の地球規模の大災害かも知れません。その変化を止めた(短くした)のかも知れません。

 

と言うのは、ひどい苦難の続きが書かれているからです。

 

その、ひどい苦難ののち、

 

エスさまはみ使いを使って選ばれた者たちを天へ引き上げます。

 

666によって、売ることも買うこともできなくなった後です。

 

肉体を持った人間は、ひどい苦難を耐えられず、ひとりも生きられない。だから、短くされたのです。わたしは、そう読みます。

 

天へ引き上げられた人間のからだは、肉体からイエスさまのような体に瞬く間に変えられます。これを第一の復活と言います。彼らは天へ引き上げられます。携挙と言われています。

 

その後、イエスさまは地上再臨されます。地上に残された666、偽預言者、神を知らない者、福音に従わない者たちに破滅が来ます。これが神の怒りです。

 

このあと、諸国民を惑わすことが無いよう、サタンが捕えられ、千年王国が始まります。

 

千年王国には、神に選ばれた諸国民がいるようです。携挙されなかった人たちかも知れません。

 

千年が終わってしばらくの間、サタンは解き放たれ、諸国民の惑わしに、成功します。

 

彼らは、愛された聖なる都を包囲します。

 

その数は海の砂のようです。

 

神が天から火を降らせ、彼らをすべて滅ぼした後、ようやくサタンもゲヘナへ落とされます。

 

そこには、すでに666と偽預言者がいます。

 

ゲヘナとは地獄です。第二の死です。つまり、そこで終わりです。死とハデスも入れられます。ハデスも死も消滅します。

 

永遠の命は神が持たれており、第一の復活を受けた者も持っています。

 

それ以外の被造物は持っていません。つまり死ぬことができるのです。神は、死ぬことができません。しかし、被造物の不滅は、あり得ません。

 

人間は不滅だという考えを吹き込むことに、サタンは成功しました。この概念が、聖書解釈を誤らせました。

 

それは、イエスさまが十字架にかかっているときに、悔い改めた強盗に言ったことばに表れています。

 

ギリシャ語を翻訳するときに翻訳者たちが間違えたのは、この不滅の概念のためです。

 

確かに、霊は神のもとで管理されるか、ハデスにいると考えられます。

 

死んだ者は眠っているのです。神に起こされるまで。義者と不義者の復活の日まで。

 

 

ギリシャ語文法では、「今日」ということばには、その前にも後ろにも「コロン」をつけることができるのですが、これを書いたルカは、コロンをつけていません。

 

 

以下の翻訳をご覧ください。

 

 

43 エスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

 

ルカ23:43   新改訳

 

ギリシャ語写本が、「きょう」の位置を明確にしていないため、翻訳者が、不滅を信じていれば、上記のように翻訳してしまうのです。

 

つまり、死後にパラダイスに行くと信じているからです。

 

しかし、本当は、「きょう、あなたに告げます。あなたは、わたしとともにパラダイスにいます。」が正しいと思います。

 

エスさまは、「今日」と言って強盗に宣言されたのです。わたしは、人間の不滅は信じていませんから、こう翻訳するのです。

 

パラダイスは千年王国か、新天新地であり、確かにこのときには、イエスさまはおられるのです。もし、先ほどの強盗がいるとしたら、千年王国での王また祭司でしょう。

 

現在、わたしが持っている、いろいろな聖書は不滅を信じた翻訳になっています。残念ながら、全部がです。

 

バルバロ訳の翻訳者はパラダイスは天国だと注釈していますが、イエスは、三日間墓の中にいたのです。イエスの霊が、ノアの時代に死んだ霊たちのもとへ行くこともなく、天国へいくこともありませんでした。

 

三日目の復活のとき、父なる神が、イエスのからだを瞬く間に新しい体に変えるまで、イエスさまは墓のなかにいたのです。

 

マグダラのマリアが復活のイエスさまにしがみついたとき、「しがみつくのはやめなさい。わたしはまだ、天へ行っていないからです。」と言われました。

 

これで、理解できましたか?

 

死んで、すぐ天に行くことはないのです。また、パラダイスに行くこともないのです。従って、あの強盗は、まだハデスで眠っています。神に起こされる日(義者と不義者の復活の日)まで。彼は義者の復活です。

 

繰り返しになりますが、十字架でのあの状況で、「きょう、わたしとともにパラダイスにいる」と翻訳すると、他の聖句から判断するとそれは、間違っていることがわかるでしょう。

 

人間は不滅だと信じている人たちが、解説する話に、ラザロと金持ちのたとえがあります。

 

あの話もイエスさまがたとえで話されたのです。死後の世界の話ではありません。

 

エスはたとえで教えられた。弟子たち以外、すべてたとえを用いて話された。たとえを用いないで、話されたことはなかったと聖書に書いてありますから。

 

アブラハムのふところ。これも例えです。

 

聖書は、本来誤りなき神のことばですが、翻訳によって違う意味にも成りうることを覚えておきましょう。

 

 

今、教えている人たちの教えは、人を惑わすものです。なぜなら、学者から教わったからです。

 

 

神から教えられた者。その人は、御霊によって、聖書の翻訳の間違いに気がつくのです。

 

 

地獄について

 

 

ゲヘナはタルタロスとは違うのです。サタンが千年間、閉じ込められた場所がタルタロスで、洪水前に地に下りて来た悪霊たちが閉じ込められていたのと同じ場所です。そこでは、彼らは生きていましたが、ゲヘナでは死ぬのです。だから、第二の死と言うのです。死は死です。ゲヘナでは生きられません。なぜなら、永遠の命を持っていないからです。つまり、死ぬのです。

 

また、永遠に苦しむ地獄は、永遠にそれがあるのは無駄です。ごみ箱は用が済んだら、必要ないのです。神はごみ箱を捨てられて、すべてのものを新しくされます。

 

 

最後に

 

エスさまが十字架に付けられてから、2000年経っています。現代において、正しくイエスさまの伝えたかったことが、伝わっていると思えますか?

 

いいえ。

 

あなたが、判断してください。イエスの羊なら、聞き分けられます。

 

この手紙が、異端かどうか。

 

 

アーメン

 

 

simon一からの引用